『三成さんは京都を許さない』を京都人はどう読むか
早いもので京都から東京に引っ越して丸2年が経つ。
自分では京都に対する郷愁や誇りなんてものはなく、実際に1度も京都に帰ったことはない。
ただ、「この店のラーメンをもう一度食べたい」とか「あの店のパンをもう一度食べたい、日帰りでいいから」と思うことはよくある。
食い物の恨みとは恐ろしいものだ。
それともこれが郷愁なのだろうか。
そんなノスタルジックになったときに読みたいのが『三成さんは京都を許さない』である。
あらすじを簡単にいうと、現代にタイムスリップした石田三成が滋賀県庁の職員となり、滋賀県の地位向上を果たすため、京都征伐を企てるという話。
石田三成や大谷吉継が出てくるが、戦ものではなく、滋賀と京都の複雑な関係を描いたご当地コミックと思っていただければよい。
滋賀目線で描かれているので、滋賀の人しか知らない名物・風習・場所などが登場する。
Twitterを見ても滋賀の人が応援している印象。
京都の人から苦言が来ないのもある意味不思議…(だって「許せない」と言われているのに)。
京都の人はこのコミックをどう思うのだろう。
私は滋賀の大学に通っていたので、ある程度の滋賀のことには詳しい。
だから1巻の表紙に描かれているのは「大津パルコ」(滋賀の流行発信地)であり「滋賀県庁」であり「平和堂」(滋賀を本社とする総合スーパー)であることは分かる。
ご当地コミックは分かればおもしろいが、分からなければおもしろくない。
残念ながら京都の人は(お隣なのに)滋賀のことはよく分かってないし、興味もそんなにない。
『三成さんは京都を許さない』のサブタイトル「琵琶湖の水を止める」とは滋賀の人が京都の人によく言う切り札的言葉だ。
しかし本書にもあるように「京都の生活水はほぼ琵琶湖の水だがその管理は京都市が行っている」ので、京都人からしてみれば「じゃあ止めてみれば?」という感じなのである。
滋賀は「関西ヒエラルキーの底辺」、「琵琶湖ノ水ヲ止メヨ」とは所詮、滋賀の悪あがき、だから京都の人は滋賀の人に「京都を許さない」と言われても平気なのだ(むしろ余裕で笑うぐらいの)。
自分が京都人であることに誇りはないと思っていたが、関西ヒエラルキーの意識は心に深く刻み込まれているようだ。
思わぬところで自分のこころの闇を見てしまった気分である。
2巻も出ました。