気候危機って何ですか?
コロナウィルス感染拡大で日本全国に「緊急事態宣言」が出されているが(2020年5月現在)、
「気候非常事態宣言」が世界中の都市で宣言されていることがご存知だろうか。
気候非常事態宣言(きこうひじょうじたいせんげん、英: Climate Emergency Declaration; CED)は、国や都市、地方政府などの行政機関が、気候変動への危機について非常事態宣言を行うことによって、気候変動へ政策立案、計画、キャンペーンなどの対応を優先的にとるものである。
こんなときだけど、「気候危機」について興味のある人はどのくらいいるのだろう。
むしろ知らない人の方が多いのではないか。
ニュースでは暖冬や異常気象が地球温暖化によるものだと報道しているよね?
これからもっと過酷な気候変動が起ころうとしていることは不思議なことに全く報道されない。
「気候危機」といえばグレタ・トゥーンベリさんが有名であるが、
グレタさんの行動ばかり報道されて、主張について紹介されることは少ない。
「なんか知らんけど、女の子がすげー怒ってるよ。怖いねー」
みたいな感じになってて本当に残念だ。
グレタさんが「気候のためのストライキ」で伝えたいことは何なのだろうか。
『グレタ たったひとりのストライキ』(海と月社)
によると、伝えたいことはただひとつ。
科学者の声をきこう
なんだよなー。
「気候危機」は科学者たちがずっと昔から警告をしてきたことらしい。
「このままでは地球ヤバいっすよ」って。
「気候危機」について説明する前に、まずは地球温暖化。
これは二酸化炭素などの「温室効果ガス」が大量に大気中に放出されることで
地球全体の気温が上がること。
地球温暖化が進むと、氷河融解し、海面が上昇する(陸地が減る)。
気候メカニズムの変化により台風、豪雨、猛暑、干ばつなどが頻繁に起こるとされている。
さらに科学者たちが訴えているのは「ティッピングポイント(臨界点)」だ。
「臨界点」とはゆるやかに進んでいた気候変動が、突然急激に変化すること。
今までうまい具合に保っていた地球バランスが一気に崩れること。
そうなると地球上で人間の住める場所はかなり限られ、
かなりの種類の生物は絶滅し、
危機的な水不足・食料不足になると言われている。
一旦「臨界点」を越えてしまうとドミノ倒しのように悪いことが起き、どんな叡智や技術を持ってしてもそれは止められないという…。
このように気候変動は待ったなしの問題であることから、最近では気候「危機」と言うようになったとさ。
長文になってしまいました。
じゃあ、私たちは何をすればいいの?については次回。
気候危機について考えることにした
1年以上ぶりの更新になりました。
昨年の4月から仕事復帰し、あれやこれやのうちに1年…。
はじめは文章など書く余裕なんて全くない、ない。
育児してはじめて分かったのは「自分の時間」(自分の思う通りに行動できる時間)が全くないってことです。
たまにできた最高の「自分の時間」がインプット(本を読む)でした。
さらにあるとき、アウトプット(文章を書く)してみたら、「私、今、イキイキしている!」くらいの充実感があったのですね。
あと、ちょっと世間さまに伝えたいことができたというのがありますね。
いま、私が一番関心のあることは「気候危機」についてです。
そのきっかけは、多くの人がそうであったように、グレタ・トゥーンベリさんの「気候のためのストライキ」をはじめとする若者たちの抗議運動があります。
それともうひとつが最近毎年のように災害が起こっていますよね。
ニュースで「何十年に一度の大災害」というフレーズをよく耳にします。
ふと気づいた。
『「何十年に一度の大災害」って毎年起こってないか?』と疑問に思ったのがふたつめ。
よくよく調べてみれば、
最近、ひんぱんに起こっている災害は「地球温暖化」が原因。
「地球温暖化」の原因は人間活動であることは間違いない(と、世界中の科学者たちが証言している)。
(人間活動とはざっくり言うと「化石燃料」に依存している生活のことなんだけど、この辺はおいおい整理して書きたいと思う)
ともかく、私たちが悪気もなくしている生活スタイルが「地球温暖化」を加速させており、
「地球温暖化」をきっかけに、この先もっともっと様々な災害がドミノ倒しのように起きようとしている。
まさに今「気候危機」が迫っているのである。
ということで
「ひとり会議」、書評をメインとしたブログであることは変わりませんが、
・「気候危機」が迫っていることを広く伝えること
・「気候危機」対策のためにひとりからできることを探し、実践すること
を目標にやっていきたいと思います。
「ひとり会議」第2章のはじまりです〜
2018年手帳の振り返りと2019年の手帳
去年(2017年)の年末に買った手帳について記事を書きました。
さて、1年どのように使ったか振り返ってみましょう。
今年は4月に出産したので、あまり使いこなせてませんが…。
『星ダイアリー』は日記帳として活用しました。
左ページに日記、右ページにtodoリストや本の抜粋、日記では書ききれない想いなど、
たくさんスペースがあるので非常に重宝しました。
一方、『わたしの手帖』は全く活用できず…。
はじめは家計簿代わりに使ったお金をメモってたのですが、
出産後はしばらく買い物に行かなかったので手帖開かず。
ワークもできずそのままフェードアウト…。
もったいない…。
さて、2019年の手帳は『わたしの手帖』改め『わたしのきんいろ手帖』一本にしました。
これに日記をつけよう。
書ききれないことはマイ肯定文のページに書こう。
12月からすでに日記を書きはじめてます。
紙がちょっと薄いので裏写りするのが難点ですね。
内容が濃いのに、コンパクトなサイズで収まっているので仕方ないでしょう。
そしてお楽しみはこちら。
付録編の冊子です。
この中に収録されている「わたしと出会うためのブックリスト」がかなりキテル。
服部みれいさんおよびマーマーマガジンの原料(?)が惜しげもなく記されてます!
2019年版をみると、きちんとバージョンアップされていてうれしい。
書店の現場を離れ、本屋にもなかなか行けず、読みたい本がなかなか見つからない現在。
2018年はこのリストと服部みれいさんの「声のメルマガ」にかなり影響を受けました。
来年もブックリスト、大いに参考にさせていただきます。
いい人であることの違和感─吉本ばなな『「違うこと」をしないこと』
吉本ばななさんの『「違うこと」をしないこと』、よい本でした!
『「違うこと」をしないこと』って言葉遊びのようだけど、
単純に言えば「自分に合うことしかしない」だけど、自分に合うことって分からない。
だから「違うこと」はしないってところがいい。
「違うこと」とは本書から抜き出すと
・違和感
・気を使うこと
・我慢すること
・感情を溜めちゃうこと
なのかな?
「なんとなくこの人嫌だな」とか「なんか今日の服は気に入らないな」って思うことありますよね?
「違うこと」は他人からしたらどうでもいい些細なこと。
だからこそ、大切なのだ。
今まで「違うこと」を相当無視してたように思う。
「しょうがない」「すぐ慣れるだろう」「みんなやってるし」とか言い訳をして。
「違うこと」を無視すると確実に自分は傷ついていって、
それが積み重なると心が蝕まれ、やがて壊れてしまうのだそう!
なんと!
私、もう手遅れかも…。
だって「いい人であること」「場の空気を読んで気を使うこと」が当たり前のようにからだに染み付いているもの。
「いい人であること」は本当に自分らしいのだろうか…。
よく考えたら「ひとりでいるのが恥ずかしい」「見返りがほしい」みたいな裏があるかも。
うーん、違和感通り越して気持ち悪いな。
だから自分の「違うこと」をキャッチしよう。
そして「違和感」から自分を解いていこう。
そっちの方が楽に生きられるし、そういうのが今後もっと重要になる気がする。
ノスタルジーとカタルシス─『岡崎に捧ぐ』
『岡崎に捧ぐ』がついに完結してしまった。
意外かもしれないが、好きなマンガトップ10に入るマンガと言ってもいいくらい。
「好き」というのは必ずしも「何度も読む」とは別として。
『岡崎に捧ぐ』は山本さほさん(著者)が親友の岡崎さんとの出会いから現在までを描いたものだ。
だから岡崎さん=山本さんの自叙伝のようになっている。
山本さんは当初、岡崎さんのことを「クラスで一番仲良くなりたくない人」だと思っていた(笑)。
ところが岡崎さんの家に遊びに行ったらフリーダムすぎて居心地よく、以後毎日入り浸ることになる。
岡崎さんは山本さんのことを本当に大好きで、その愛は怖いくらいだった。
実際、山本さんは『岡崎に捧ぐ』を読めば分かるように、遊びの範疇を逸脱した天才だった。
校舎内に秘密基地をつくったり、「キムタクゲーム」なるものをクラス中に流行らせたり、
よくもこんなに出てくるなーという感じだけど、
『岡崎に捧ぐ』で描かれている「あの頃」は自由でキラキラ輝いている。
懐かしくも切なくて、なんともいえずうっとりしてしまうのであった。
私も小学校のときゲームが好き過ぎて、「学校からいち早く家に帰ってゲームがしたい」感覚を思い出したりした。
高校生編あたりから、雲行きが少し変わり、
高校受験に失敗し、岡崎さんと離れ離れになり、打ち解ける友達もいない高校生活。
そして美大受験に失敗。
フリーターになったり、なんとなく専門学校に行ったり、
スターだった山本さんは「なにものでもない者」になった。
このマンガは岡崎さんをはじめ、変な人がたくさん登場するけども、
なぜ山本さんは大人になっても、なかなか出合えないであろう変な人ばかり引き寄せてしまうのか。
きっと山本さんは普通の人になりたいを願っていたのだろうけど、本質が「変な人」だからに違いない。
運の悪さに思わず笑ってしまう。
昔は何でもできたのに、大人になるとしがらみだらけで、自分を好きになれない山本さんをまるで自分のようだと思ってしまう。
だから3・4巻は読んでてつらかった。
でもこの時代がないと、『岡崎を捧ぐ』をこんなに好きになることはなかっただろう。
最終巻の5巻では山本さんも岡崎さんも人生が思わぬ方向に進み、「物語の終わり」にうまく着地する。
『岡崎を捧ぐ』は、岡崎さんと同じくらい、「あの頃の自分」に捧ぐ感じがする。
「あの頃」も「なにものでもない日々」も、変な人たちも『岡崎に捧ぐ』に描かれることでようやく輝くことができた。
それがくだらなければくだらないほど美しいのだ。
ジムメリーを100均商品でDIYしてみた
ムスメは今6ヶ月。
布団に寝かすとすぐに寝返りします。
寝返りはできても、元には戻れません。
授乳後、寝返りをするとミルクを吐き戻してしまいます。
寝返り阻止のため、横にぬいぐるみを置いたり、おもちゃを与えたりするも、いつも負けるむなしい戦い。
そこで欲しくなったのが「ジムメリー」。
↓ こういうのですね。
しかし、おすわりができると使わなくなるのだそう。
あと2、3ヶ月のために買うのももったいないなーということで、自作することに。
材料はこちら。
セリアで購入。
クラフト製のラックをつくる部品です。
芯は6本ありますが、使うのは5本です。
このように組み立てたら、
芯にお手持ちのおもちゃをひもで吊るして完成。
所要時間10分。
費用は400円でした。
よく言えば無印良品に売ってそうなシンプルさ…
赤ちゃんと芯までの距離が短いのでひもは短めにしてください。
吊るすおもちゃは音が鳴ったり、握れるものがおすすめです。
好評のようです。
難点は軽すぎるので、気づいたら足で移動されてたり、バラバラに分解されていることがあることでしょうか…
それでも、少しは目を離せるので安心です。
半身浴しながら読書して、ひとときのひとり時間を楽しめるようになりました。
出目金の暗躍─『A子さんの恋人』5巻を読んで
『A子さんの恋人』の5巻が出ましたね。
私は気軽に書店に行けない状態(子育て中)なので、大事をとって近くの書店で予約しました。
というのも、『A子さんの恋人』のレーベル「ハルタコミック」は「書籍扱いコミック」なのです。
実際の発売日よりも大・幅・に(←ここ重要!)前倒しすることが多々あり、発売日に書店に行くと売り切れということもありえるからです。
(この辺の話は『ガイコツ書店員 本田さん』を読んでいただけると理解が深まりますよ)
前置きが長くなりましたが、『A子さんの恋人』5巻読みました。
黒出目金、A子さんのデビュー作、様々な伏線が集約されていく快感…。
友人のK子、U子にも進展があり、あとは「A子さんがA太郎とA君どちらをとるか問題」に向かって進むのみ。
いよいよ佳境です。
(見返したら、まったく同じ文言4巻の感想で書いてました(笑))
いや、やっぱりこのマンガは小道具の使い方がうまい。
表面上はアラサーがただダベっているだけなのに奥が深いなぁ。
黒出目金は1巻でA太郎がA子さんに渡すために買ったものでした。
それが、U子、K子、I子へ回り、5巻でようやくA子さんの家へ。
しかもA子さんの家に出目金がいるのを目にして、A君は何かを察しアメリカから日本へ行く決意をする。
出目金どんだけ重要なんだという…。
出目金や「A子さんの恋人」問題以外にも保留なものがあります。
5巻に出てきただけでもA子さんの実家の部屋、A太郎の家の押し入れとか(が表面化して解決していく)。
学生時代にA子が忘れた課題の絵も宙ぶらりんで、結局A太郎が押し入れに大事に持ってたんだっけ。
この物語の結末は、A子さんが①A君を選ぶ、②A太郎を選ぶのどちらかのはずです。
けれども私は、本編でちょいちょい出てくる③どちらも捨てないままうまくまとめる、案が有力かなと思っています。
物ごとをすべて白黒させることが必ず正しいこともないし、世の中には保留の宙ぶらりんものがどれだけ多いか。
恋人が2人いるのは問題ですけどね!
ともあれ「どちらも捨てないままうまくまとめる」結末はどんなものだろう。
A太郎が「えいこちゃんみたいになりたい」と言い、マンガを描いてみたりしたこと。
A子さんとA太郎の過去が鍵になりそう。