ひとり会議

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「永遠のヨギー」を観て ─ ヨガはトレーニングではない

 

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今日は「永遠のヨギー 〜ヨガをめぐる奇跡の旅」を見に行きました。

 もう上映も終わりかけなので、

これから観れるチャンスは少なそうなので恐縮なのですが、感想を。

この映画を観に行こうと思ったのは、

マーマーマガジンのサイトで服部みれいさんがオススメしていたからなのです。

 編集部ランチ|永遠のヨギー|この世界のこと – mm books

 

 ちょっとだけ、ヨガを始めてみたり、

ホリスティックなことにも興味を持ってきたので

「あるヨギの自叙伝」。

スティーブジョブズiPadに唯一ダウンロードしていた本。

 以前から気にはなってたけど、

本を読みきる自信が全くなかった。

 

 正直、映画を観るまでヨガナンダのことは全く知らなかったけど、

映画を観れば分かるかなと思って軽い気持ちで観に行きました。

服部みれいさんが「まるで瞑想しているよう」と言っていたので、

途中で寝てしまうのではないかと思ってましたが、

心配はご無用でした。

 

ヨガはトレーニングでも、ダイエット法でもなく、

瞑想に本質がある。深い内面に入っていって対話すること。

しかもそれは自分の脊椎にあるそうな。

ヨガの運動は瞑想に入る前の準備のようなもの。

ヨガとは癒しとも遠い、数奇な運命に従うこと。

 

映画のあらすじだよ

 

生まれる前から霊的な存在になると確信していたヨガナンダ。

インドに生まれ育ち、師と出会い、人々に親しまれ、

自身も充実した生活を過ごしていた。

あるとき、瞑想中にアメリカへ行けと神様の啓示を受けて、

第一次世界大戦後のアメリカへ旅立つ。

そのころのアメリカはノリに乗ってて、娯楽が溢れ出し、人々は消費しまくっていた。

まだ人種差別もきつかった。

褐色でターバン、袈裟のヨガナンダは冷笑の対象だった。

ヨガナンダの言葉は最初は誰も聞こうとはしない。

根気強く講演を続けていくうちに、少しづつ人々に受けいれられ

「西洋ヨガの父」と呼ばれるまでになった。

しかし、規模が大きくなると

心ないジャーナリストがカルト集団とレッテルを張り、

ヨガは怪しいものとされ、仲間に裏切られ、

ヨガナンダを追いつめていく。

 

ゼロからやり直そうとした矢先、

インドに帰るよう啓示を受ける。

インドに戻るとすぐに師は息をひきとる。

悲しみにくれるなか、ヨガナンダはある期間、深い内面の中に閉じこもってしまう。

覚醒したヨガナンダは、「あるヨギの自叙伝」を短期間で執筆し、完成させる。

 

1952年、ロサンゼルスでの晩餐会にて講演を行った直後に息を引き取る。

その数時間前に側近に「私はあと数時間後に亡くなる」と言っていたそうな。

 

と、あらすじ(というかヨガナンダの生涯)はこんな感じです。

映画を観ただけで書いているので細かい部分は違ってるかもです。

 

 

なぜヨガナンダはアメリカに行かなくてはならなかったのか。

 

ヨガナンダはなぜ「西洋ヨガの父」にならなくてはならなかったのか。

それは、物質主義から原子力時代へ移るにあたり、

人類が間違った道を歩まないように自制せよ

ということではないだろうか。

まさに「あるヨギの自叙伝」の執筆中、

1945年8月6日、広島に原発が投下された。

そのときの映像を見たら、急に悲しみが押し寄せてきて涙が出てしまった。

 

人類が間違った道を歩まないように。

原子力のことだけではなく、これから訪れるであろう、

人工知能の時代にも言えることではないか。

今、OLはヨガに夢中で、

ビジネスマンが瞑想するのが流行っているけど

この先、カルトじゃなくて、

科学では解明できない霊的なことが重要になってくる気がする。

あるいは霊的なことが、科学の進歩により解明されるかもしれない。

 

映画を観たら「あるヨギの自叙伝」読めそうな気がしてきた。

でも日本語版は電子書籍ないんだよなー。

とはいえ本屋でこれを持っていくのは勇気がいるよ。