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インターネットにない情報を得ること─『多動日記』と『ストリートワイズ』

 

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高城剛さんの『多動日記』に「ミッシングパーツ」という言葉が出てきます。

この言葉に思うことがあったのですが、個人的な気づきをブログに書いたところで、ピンと来ない人がほとんどだろうと思いつつ…書いています。

 

『多動日記』で興味深かったのが、例えばドラッグなどを大量に取引する「ブラックな卸売りセンター」の話。

住宅街にひっそりとあるらしいのです。

看板を出すわけにはいかないので、目印として「靴が片方だけ干されてい」たり、見張りは「風景を描いている画家」だったりするのだそう。

このような話は、マスメディアはおろか、インターネットに載ることもありません(『多動日記』は大手出版社からの出版を断られ、kindle版のみ販売)。

 

マスメディアやネットで知り得る情報はほんの一部であり、真実は往々にして隠されるものです。

点在している情報をつなぐピースになるのが、インターネット上では絶対に得ることができない「ストリートで入手」あるいは「拾う」情報のことなのです。

高城さんはそのような情報を「ミッシングパーツ」と呼んでいます。

 

「あれ?」と思って、読み返したのが1997年に出版された坪内祐三さんの『ストリートワイズ』でした。

『多動日記』のちょうど20年前の本になります。

この本は私の人生を変えた本BEST10には入るであろう本で、内容自体は本エッセイです。

内容は理解できなかったけれども、当時の私は「ストリートワイズ」という言葉そのものに惹かれたのでした。

「ストリートワイズ」は直訳すると「街の賢者」。「街の住人《貧民・浮浪者・犯罪者など》の事情に通じた、都市生活の心得のある、土地鑑のある」という意味。

坪内さんはそれをさらに「街をさ迷い歩いていくうちに出会った知識や知恵のこと。自分の直感を信じアクションを起こすことで偶然出会うもの」と解釈しています。

 

書かれた時代は違えど、本当に重要な情報は「インターネット上」にも「地図やマニュアル」にもないのです。

それはきっと書いたり、伝達できるものではなく、言葉にできない「理解する」ようなものかも知れません。

 

最近スマホのおかげで、目的地まで迷うことなくたどり着くことができるようになりました。

まだインターネットには載ってないことを知りたいと思うなら「街をさ迷う」とよいのかもしれません。

価値の高い情報は、インターネットがいくら大きくなってもインターネット上には書かれないのですから。

 

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