結局「多動力」とは何なのか?─「多動力」と「多動日記」
楽しみにしていた2冊の新刊のタイトルがどちらも「多動」であったのは偶然なんでしょうか。
1冊目が堀江貴文さんの「多動力」。
もう一冊が高城剛さんの「多動日記」です。
タイトルは似ていますが、内容も、「多動」へのアプローチの仕方もまったく違っています。
どちらの本にも以前からあったかのように「多動」という言葉が使われていますが、そもそも「多動」とは一体何なのでしょうか。
「多動」はADHD(多動性障害注意欠陥症)の症状のひとつのようです。
とにかく「じっとしているのが苦手で、落ち着きがない」のが多動症の特徴。
どちらの本にも出てくる印象的なエピソードとして「世界最高の起業家」であるイーロン・マスクが服が着れないという話があります。
彼も多動症ゆえ「服を着ている間に、次にやりたいことを思いついてしまうから、ボタンを留めることができない」というのです。
まったく落ち着きのない大人です(笑)。
ときに日常生活を過ごすのも難しい多動症を「力」と転換させたのが「多動力」です。
堀江さんは「多動力」を「いくつも異なることを同時にこなす力」と定義しています。
さらに「次から次に、自分が好きなことをハシゴしまくる『多動力』」こそこれから最も必要となる能力といいます。
本書では「多動力」の一番の邪魔になる「思い込み」についてと、
私たちでも実践できる「次から次へたくさんのことができる工夫」を紹介することに重きが置かれています。
一方、「多動日記」は、家を持たず荷物も持たず、毎週のように世界を飛び回っている「多動力が高すぎる」高城さんの旅行記です。
国境がめちゃめちゃのうえに、現実か想像の話なのかもわからない非常に危うい本です。
さすが「大手出版社に出版を断られた」本だけあります。
松尾芭蕉も同じ宿に3日いられなかった多動症らしいですが、動かなければ生きていけない人の頭の中が見れて興味深い。
「多動力」と違って決してマネできないです。
いまなぜ「多動」が注目されているのでしょう。
「多動日記」によると、「コンピュータはマルチタスキング*1できる多動的機械」らしいが、
コンピューターだけでなく、社会全体がマルチタスキング化していて、進化のスピードはどんどん加速しています。
人間もマルチタスキング化が必要。
言ってみれば落ち着きのない子どものころに戻るということであって、それはそれで悪くないなと思います。
*1: 同時に複数のプログラムを実行させること