人生の可能性を閉じて生きる─稲垣えみ子『寂しい生活』
稲垣えみ子さん、というよりも「『魂の退社』のアフロ記者の人」の方がピンと来るだろう。
元朝日新聞の記者で、3.11の原発事故をきっかけに節電をはじめ、ついには電気代が月々300円代になり(!)様々なメディアで紹介された人だ。
『魂の退社』は、節電生活を始めてなんだかんだで会社を辞めることになった稲垣さんの顛末、そして「会社を辞めるとはどういうことなのか」ついて書かれていた。
続編となる『寂しい生活』では「家電を辞める」ことについて書かれた本だ。
節電の根本療法は家電をやめることである。
掃除機をやめ、電子レンジをやめ、冷蔵庫をやめ、ついには内風呂(稲垣さんの家はオール電化だったのだ)までやめてしまった。
家電なしでどうやって生活するのだろうと思っていたけれど、案外イケるらしい。
日々、工夫を凝らして、成功したり、失敗したり。
なんかすごい楽しいそう!
全然「寂しい生活」じゃないんだけど(笑)!
ならば「寂しい生活」って何なのだろう?
それは「人生の可能性を閉じて生きる」ことなんじゃないだろうか。
「人生の可能性を閉じて生きる」??
誰であれ「可能性は無限にある」と教えられ、信じて疑わなかったので、それを「閉じる」とはいささかショックであった。
何事も拡大・発展することが幸せなこと=「豊かさ」だと信じてきた。
しかし本当にそうなのか怪しくなってきている。
家電は豊かさの象徴だけど…
冷蔵庫には食べきれないほどの食品が詰め込まれ、腐った食品を捨てるときは罪悪感でいっぱいだ。
掃除機をかけようにも、部屋はモノで散乱しているので億劫だ。
「豊かさ」ってもしかして、「拡大・発展すること」だけではないのかも?
「人生の可能性を広げる」ことが行き詰まっている今、「人生の可能性を閉じる」ことに「可能性」があるのかもしれない。
家電、会社、家、学校、人間関係……何でもいい。
当たり前のように存在していたものをやめてみることに今後の可能性がある。
(さしあたり私はテレビを観ることをやめました。時間の余裕ができた気がします)。