水道管が凍結して気づいたこと
ちょっと前の話ですが、1月26日私が住んでいる東京・八王子では最低気温が-7.8℃を記録しました。
その日、お昼から出勤だったので、いつも通り遅めに起きて、トイレに入ると水が流れない。
「ん?? なんでハンドルがゆるゆるなんだろう??」
水道管が凍結してしまったことに気づくまで、寝ぼけていたせいか、しばらく時間がかかってしまいました。
幸い、非常用の水があったので(ペットボトル2Lが10本ほど)パニックということはありませんでした。
さて、その日家を出るまで、何Lの水を使ったのでしょう。
朝の食事や飲み水に1L、顔を洗ったり、歯みがきに1L。
つまりペッドボトル2Lを1本で充分だったのです(食器は洗わずに放置ですけど)。
一番困ったのはトイレでした。
朝、起き抜けのお小水が流れずにそのままになっています。
ネットで調べてみると、1回トイレの水を流すには、最低でも6Lの水が必要とあるではないですか!
貴重なミネラルウォーターを3本も使うわけにはいかないので、旦那さんには申し訳ないですが、放置してきました…(ちなみに1Lぐらいの水で流してみましたが全く効果なし)。
しかし、半日生活して、一番水を使うのがトイレだったとは意外。
例えば歯みがきだと、口をすすぐとき、水を出しっぱなしにするのではなく、コップの水で口をすすげば、水は少しで済みます。
一方、トイレや洗濯機などは便利ですが、どのくらいの水を使っているのかが目に見えないし、想像もつかないし、しかも加減もできないというのは、恐ろしいことでもあるなと思いました。
その日の夕方には水が出るようになったようなので、断水はほんの短い時間でした。
今年の東京の積雪にも驚きましたが、水道管が凍結するなんて今まで想像したこともありませんでした。
蛇口をひねれば水が出るという当たり前のことが、本当は(世界的にみても)当たり前ではなかったのです。
水のありがたさをひしひしと感じると同時に、トイレの水を流すのに6Lも水を使う必要があるのかと疑問に思いました。
いま、『ぼくはお金を使わずに生きることにした』のマーク・ボイルさんの新刊、『無銭経済宣言』を読んでいます。
前作のようなノンフィクションではないので内容がかなり難しい…。
後半は実際にカネなしで生活するためのノウハウが載っていて、実践できるほどの技術も心構えもまだないけれど、いつかはオフグリッド(電線が通っていない家)で生活したいと夢をふくらませています。
本書からトイレの章を引用します。
水洗トイレは、現行の文化と思考回路に見られる病んだ精神のいっさいを象徴している。命を与えてくれる液体(水のことですね*引用者註)のなかに大小便をしてだいなしにしているのだから。
この章を読んだときは「そうなのかな?」という感じだったけど、今なら現実味を持って「そうかもしれない!」と思える。